まぁ、タイトルで全て言い切ってる感は非常にするんですが。


 大元となるのは、sonoeさんの「同人誌は手に入らないものなんです。」というエントリー。
 これに関しては「まーそうだよなぁ、俺も何度『あー、売り切れましたか……!』とサークルさんの前で肩を落としたことか」とか思って終わりだったんですが、その後replyとして書かれた有村さんの「一日寝てたので、同人誌が手に入らないものなら自分で描け! という話をする。」というエントリーには「いや、それは違うんじゃないのか」と。



 同人誌ってのは売り切れました、じゃぁ増刷します、とできるものではないことはその通りで、さらに言えばそもそもの印刷部数自体設定が難しい代物なのもその通りです。
 また、委託は必須でも標準オプションでもなく、委託しないというのも普通のことだよ、というのもその通りです。



 で、その上で

なので、ぼくはよく言っている。どうしても読みたい本がないのなら自分で作れ、と。

というのは、この場合違うんじゃないか、と思うわけです。



 たとえばこれが、「こんなジャンルの本無いかな」「こんなシチュの本無いかな」といったことであれば、「ないなら自分で作れ」はある程度真だと思います。
 でも大元のエントリーでsonoeさんが言われているのは、特定のサークルの(具体的にどこそこ、ではなく、1つのサークルのという意味で)本が買えない、ということに対しての「同人誌は手に入らない物なんです」ではないかと。
 それって、「こんなジャンルの本無いかな」じゃなく「○○さんの本無いかな」ですよね、それに対して「○○さんの本が手に入らないなら自分で作れ」ってのは違いますよね、と。
 「○○さんの本無いかな」と思うのは、○○さんの表現した物が読みたいのであって、それは決して自分が表現した物ではないはずです。人間良くも悪くもそれぞれ違う物ですから、自分が表現した物と、人が表現した物は異なってしかるべきです。



 自分で本を描ける・作れる人でも、他のサークルの本が欲しい、という人は決して少数じゃないはずで、それは「他の人が表現した物を見たい」からに他ならないからだと思います。
「料理人は人の料理を食わないのか」
「音楽家は人の音楽を聞かないのか」
「絵描きは人の絵を見ないのか」
 というのと似た話(まぁ、商売が絡んでくると違ってくる面はありますが)だと思うんですよね、これ。
 自分で表現する人だって、人の表現に触れたい、という欲求はあって、だからこそ「○○さんの本が欲しい!」となる、と。



 ちなみに大元のエントリーの「同人誌は手に入らないものなんです」というのはまぁ、話を広げだすといろんな論争軸が出てくる上に価値観問題になりそうなのですが、とりあえず私としては「だからまぁ、合法かつ迷惑をかけない範囲で全力を尽くしましょう」という感じで。
 その結果がデジラバの本を求めての大阪遠征、だったりするわけですけれど。